TOP| BAND
Dear Comrade

BAND
Dear Comrade & The SPYS
年月 出来事

1993年6月

1994年4月

1995年夏









1996年頃




1997年春



1997年秋
1998年






1999年












1999年末










2000年
2001年

自分は元々高校時代の仲間と洋楽のコピーバンドを組んでいました。
自分が一人の女性にふられ、「雨の中の帰り道」という曲を書いたのがきっかけでオリジナルバンドに転身。
「DearComrade」が誕生しました。
初ライブをしてから、しばらくライブの度に同級生などに来てもらい、ライブハウスのノルマをクリアするのが
精一杯だったのですが、ニ年程経ったある日、一つの出来事をきっかけに一回目の脱皮を果たしました。
当時代々木公園は「ホコ天」(他のサイトにリンク)と呼ばれ、通り沿いに色んなバンドが演奏をしては道行く人の足を止めさせる競争をしてました。
そうです。そこに参入して一般のお客さん獲得を狙い始めたのです。
何度足を運んだでしょうか。その世界も当然甘くなく、中々思うように人は集まってくれません。
しかも我らはポップスバンドで回りはロックバンドだらけ。となりに激しいサウンドのバンドなんかいた日にゃ自分らの音なんか
全部掻き消されてしまう始末でした。
しかしここは我らも本気です。とにかく立ち止まった人がいたら、その人だけの為に本気で歌いました。
そんな中、立ち止まったままずっと聴き続けてくれる女の子が一人現れたのです。何曲か歌い終わってから当時作った
9曲入りアルバムテープ「TRICK OR TREAT?」を渡すと、数日後には感想の手紙まで送ってくれました。
我がバンドのファン第一号が誕生したのです。
このたった一人の娘の出来事でかなり自信とやる気がついた僕らは、その後ホコ天が廃止になってからも
当時の自信作「Pikles」や2ndアルバムテープ「Dear Comrade」を引っさげてプロのライブ会場に行っては
出口で何度もテープ配りをしたり、外で弾き語ったり、時には人の集まりそうな場所で無理矢理ドラムまでセッティングして
ゲリラライブをしたりと、とにかく「外」に向けて発信する活動をしながらライブハウスで定期的にライブをするという生活が
中心になってきました。
石の上にも…じゃないですけれど、
発表した「マーガレット」を配りだしてから、さらにお客さんが増えだし
いつの間にか沢山の人がライブに来てくれる様なバンドに生まれ変わっていたのです。
応援者を得た僕らはそれが何よりも大きな力になり、さらなる飛躍を求め始めていきました。
一時的なスランプはあったものの曲はどんどん増えていき、
4曲入りデモテープ「BREAD」を発表しました。そして
この年はDearComradeにとって今までにない忙しい年になりました。2月にオムニバスCD「Dream Dream」に参加するのを皮切りに、
相変わらず渋谷ラ・ママ、新宿HEAD POWER等都内のライブハウスを拠点にライブをこなしながら、2度目の4曲入りデモテープ
「BOILD EGG」を発表。さらに軽い気持ちで受けたON AIRのオーディションも受かり、メジャーから声をかけられる迄ON AIRと契約し
ON AIR EASTという夢のライブハウスでレコ発ライブ(「Future Face2」)をするという貴重な経験もしました。
自分の曲がジャスラック登録され微々たるものですが印税が入る経験をしたのもこの頃です。
今まで何をするのも中途半端だったので、こうして少しずつでも結果を出して上って行く自分達を当時すごく誇りに思えたし、
何よりこの上なく充実してました。
勢いに乗っかってとうとう5曲入りオリジナルミニアルバムCD「Frozen Record」を発表。
レコ発ワンマンライブの2時間ステージをこなしました。
そんな中です。お客さんの一人がソニーのオーディションに僕らを推薦してくれて全国600バンド近く応募があった中から
最終審査の27バンド まで残るという快挙を達成したのは。
結局通過は出来ませんでしたが、事実上「あと一歩」のところまでいった事は本当に大きな自信にも繋がりました。
それは音楽だけでなく「やればやるだけ成果が出る」という自分の努力と信念に対しても。
(後で知りましたが、その時グランプリをとったバンドは、まだバンド名こそ違いましたが
今も活躍している「キンモクセイ」だったそうです。)
ただし段々上に上がれば音楽活動もどんどん忙しくなっていきます。
そもそも趣味で始めたバンドだったので仕事のかたわらでは追い付かない状況になっていくのも手に取る様に分かり始めてきました。
そんな中、保証のないこの見えない未来に流れていけないメンバーが出てくるのも必然でした。
楽しい世界だし、魅力もたっぷりですが果たして「今」を捨てていいのか。
社会に出ていつの間にか微妙な年令になっていた僕らは何も考えず両手を挙げて喜ぶ時期は過ぎていたのです。そこで
ベースとドラムの親友二人が話し合いの結果、4年間手伝ってくれたサポートキーボードと共に抜ける事になってしました。
元々仕事が忙しかった二人でもあったし、これ以上は仕事に影響が出てしまう限界だったのでしょう。
とにかく6年間一緒に走って来た仲間の二人が立ち止まってしまったのです。
彼らも彼らでその後の生活に穴が空くのは必然だったので辛かったでしょうが、残された僕らも大変でした。
れから新しいメンバーを探し、彼らが辞めた事が納得出来る活動をしていかなければならないのです。
とにかくお客さんも待ってくれていて、ソニーとも多少繋がりがある状態だったので、あまり間をおきたくない。
しかし今後やっていくメンバーを選ぶのも当然妥協出来ないという非常に歯痒い中、知り合いのツテや楽器屋等をあたり
何とか新しいメンバーを見つける事が出来ました。
その時、メンバーも半分変わり、幼なじみのキーボード、村上ポンタさんのリハトラをした経験があり
音楽で既に喰っていた鳴り物入りニュードラマー、ファン二百人いたバンドに在籍をしてて移籍してきたニューベース、
そして既存の盟友ギターリストと自分の五人で気持ち新たに名前を変え
「The SPYS」が誕生しました。早速レコーディングに入り
マキシシングル「アイス」も全国規模で買えるような流通を確保し、ライブもしたのですが何分馴れ合いの
友人としかバンドを組んだ経験がない故に、リーダーの自分がどう動かしていったら良いのか分からなくなってきてしまったのです。
きっと音楽以外でも親友だったかつてのメンバーと、音楽をする為だけに集まったメンバーとでは
何を決めるのにも気を使ってしまう自分に限界を感じていたのでしょう。
しかも皆プロになる為に集まっている。これを求めていたのにいざ状況がこうなると妙な責任感と不安が付きまとう。
その時のドラムはすでに家庭を持っていたので、彼の必死な姿にも圧倒されていたのでしょう。
結局自分は「ミュージシャン」になりたいのか「ミュージシャンごっこ」がしたかったのかさえ分からなくなってしまったのです。
こんなリーダーの元でバンドなんかうまくいくはずがありません。
気付いた時にはピリオドもきちんと打たないままフェードアウトしていました。

でもね、全然悔やんでなんかいないんですよ。本当に完全燃焼だったんでしょうね。
こうやって時の流れを見ながら振り返ったのも初めてでしたが内容濃いですもの。
Dear Comradeのおかげで知り合えた方も沢山いるし、何より普通じゃ考えられない程の経験もしました。
今更だけどメンバーは勿論、関わってくれた方々に心からお礼を言いたいです。勿論音楽は今後も一生やっていきますしね。
まぁもう少し落ち着いたら、昔のメンバーを誘って又Dear Comrade復活ライブでもしたいな…なんて本当に思っています。
とにかく今の自分があるのもこの時培った経験、涙、自信のお陰だと思ってますんで。
長々書きましたが、その位自分の中で大きな大切なものだったんです。
Dear Comradeの物語がここで終わらない事を祈り最後の言葉はこれにします。

つづく

※最近「教えて!goo (他のサイトにリンク)」で探してもらってる事を知りました。2001年の暮れの出来事でしたがw


Dear ComradeのDiscographyです。まぁよくもこれだけ作りましたわ。我ながら万歳!!

ディスコグラフィー −−作品リスト−−(クリックすると歌詞が見れるよ!)
1. 雨の中の帰り道
2. 一夏のメモリー
3. 懐かしい風が吹く
4. 遠くにいたってかまわない
5. 誰より愛しい人とめぐり会えたのだから
6. The Beginning Of love Again
7. トレジャーアイランド
8. My Vast Dream
9. 夏が終わる前に
10. Whirl Pool
11. ラブ
12. 心のままに
13. Dear My Girl
14. ガール
15. The daily life rounds again(ツクソング)
16. I'm a gentleman
17. LUNATIC JOKE
18. TRAP HOLE
19. Sweet life
20. シャムスリープ
21. Pickles
22. knock my soul
23. 星に願いを
24. Room〜窓を眺めて〜
25. 仮)世の中の流れを伺いながら
26. マーガレット
27. White Flower
28. Tea
29. アイス
30. 晴れたこの場所で
31. 君のそばで
32. ブルーバード
33. Blue Blue Blue
34. BALANCE
35. Over Fence
36.  All Smiles
37.  終わりなき恋
38. 仮)足りないから探してみるんだ
39. トップランナー
40. 仮)3年もの長い間



長年使っていたエレアコです。Takamineのそんな高価な物じゃないけど、沢山の曲を作ってくれました。感謝!!

エアレコ


これは最高の宝物。
忘れもしない98年5月23日、26才の誕生日の日に目標にしてたON AIR EASTでLIVEをした時ファンの子達に寄せ書きをしてもらったギターケース。実は95年の誕生日に、もし3年後の誕生日に何も結果が出てなければ足を洗おうと思っていました。そんな日にこんな事があったら当然やめる事など出来ません。
とにかく何にも変える事が出来ない最高のプレゼントです。この日あんなに大きなステージで『Happy birthday to me』と替え歌にして一人で弾き語った時は最高の気分でした。

ギター


常連のお客さんの漫画家の苫谷奈央さん作 集英社マーガレットコミックス『ロマンチック・ブルーアイス』。
短編集ですが沢山Dear Comradeを漫画の中に登場させて頂きました。
中でも自分の楽曲の名前と同じ題名の『晴れたこの場所で』は主人公が私です。
しかもちゃんとDear Comradeのヴォーカルとして主演してます。本物より少しかっこ良いかな!?
とにかく彼女には全面的に宣伝等をしてくれました。お陰でお客さんが増えましたもん。
ほんと感謝の気持ちで一杯です。

ロマンチック



PAGE TOP
Copyright(c) 2005 All Smiles, Inc. All rights reserved.